zunda zunda

音楽とか、本とか、毎日とか。

kontrast

 ここ何回かの記事でやっていたようにCDのレビューのようなものをしばらくは続けようかと思ってブログを書いていない間も4,5枚の感想を書き溜めてたんだけど、どうせどんなに紹介を書こうがみんな音楽なんて聴かないんだろうなと思ってやめました。正直バンドとか、楽器とか、やらなければ良かったと思うことが多い。バンドをより良いものにしようとか、もっといい音を出そう等と思うと自分たち以外の音楽を参考にしなければいけない場合が多く、集中して音楽を聴いてしまう。それが癖になってしまいどんなに良い音楽を聴こうがそれぞれの音が分離して聞こえてしまい、雰囲気を含め全体を捉えることが難しくなってきた。中学生の時にRadioheadOasisbeatlesを初めて聴いたときのような、耳だけではなく体全体に伝わってくるあの衝撃をもう二度と体験できないと思うと、少し寂しい。まぁなにをどう言おうが始めてしまったものはしょうがなく、良いものを作ろうと思ったら良い音を聴くしかない。上質な音を聴いていない人にそれに近い価値があるものが作れるはずがない。とりあえず12月の半ばにライブをすることだけがポツンと僕のスケジュールの中に現れてしまったのでそれに向けての一からの製作、というのが最近のもっぱらの楽しみ、プレッシャー、ストレス。
 最近、というと、最近よく精神状態について尋ねられることが多いー例えば落ち込んでないかとか、あの暗い呟きはなんなんだとかー。言ってしまえば僕もよく分からない。2,3日前まで総合的に不能でどうしようもないとか凹んでいたと思ったら今日は今日であれもやらなきゃこれもやらなきゃとか考えてバタバタしていたりするので、かなり浮き沈み激しい性格なのだなと思う。どこでネガティブな状態がリセットされるのかまるでわからないけれど、自分の精神状態というものを注意深く観察していない時ほど調子がいい気がするので、基本的にどんどん無視していけばいいと思う。友人の中には僕のことをイマイチどういうことを考えているのかわからないとか言う人が少なからずいるけれど、僕の考えていることなんて基本的に快か不快かでしかない。小難しいことを考えていたりしたって、結局はそんな風に単純な快不快に還元できるので、根本的に乳幼児と大差がない。不快な時にそれをコントロールしたりとかは基本的に出来ないし、喚き散らすしか方法が無い。どうすればその辺統制できるのか、みんな何時の間にそんな訓練をしたのか不明だし、君もそういう訓練を行わないと取り返しがつかなくなるとなぜ誰も言ってくれなかったのか。
 基本的には、全てにおいてゴールは見えない。この行動の果てにはなにがあるのか、これをやったらどうなるのか。このブログももちろんそうだけど。言い換えればゴールを見つけようとしているので見えない。見ようともしなければ見えないことにも気付かない。でも今はやれることをやるしかない。CDを買って音楽を聴いて、できるだけ多くの人と話して。行動がどう実を結ぶなんてだれにも分からないことだし、どんな風にだって実を付けることができるのだから、今撒いた種がいつかは芽を出して、それぞれの太陽の方に向かって伸びたいように伸びていけるように焦らずじっくりと水をやりながら待てばいいのだ。
どんな形でもいい。実ってさえくれればそれがゴールだ。