Talk is Cheep
今のところ、全てを、とまではいかないが、多くをうまく隠せていると思う。殻を破られることが少なくなってきた。危険な人を遠ざけているだけかもしれない。
小学生の時は夏休みに家の前の空き地で野球をしたり、本を読んでいました。あと、頻繁に頭が痛かった記憶があります。本は毎日一冊のペースで読んでいて、図書室の貸し出しランキングが毎年一位でした。何を読んでいたのか、ほとんど覚えていません。スポーツもたくさんしていましたが、たくさんしていたので何も上手くなりませんでした。
一番仲の良かったK君は勉強もスポーツも音楽もできたのでコンプレックスにまみれていました。どうやって出し抜こうか考える毎日でした。
K君とは中学、高校になっても同じ学校で、何か変わったことといえば彼を取り巻く人間より僕を取り巻くそれの方が多くなったということだけでした。僕は自分に対する虚像を作り出し、周りはそれに食いつくだけのピラニアだったのです。
自分の本当の部分はどこにあったのかというと、当時の僕は周りの、言ってしまえば烏合の衆の反応を鏡にすることでしか自分を見ることができなかったのでそれはいまも分からないままです。
取り巻く烏合の衆の数が変わったことでK君を出し抜いたことになったのか、いま思えば何と下らないことを僕は。
虚像はますます大きくなり、今もそれは変わりません。頭の中は絶えず沸点に達しておりぐつぐつと煮えたぎっているのですが虚像が僕にのしかかることによって固められた脳の外側にそれが漏れることは全く無いのです。