アンモニア
お酒を飲み過ぎた右か左も平日か休日かも分からない5年前から青か赤かも分からない。家で食べたら味噌汁、牛肉牛肉、白ご飯、飲みにいったら塩分過多。Bからオクターブ3度5度とペンタトニックでエジプシャン。夏目漱石こころ三四郎行人読むけど経験値も何も上がらない日々。音楽聴いて何も僕には作れないしあれ、今僕はどこにいる気付いたらもう12月。虜でいいやと思い三歩進んで右左。何回寝て起きたら終わるの思ってきたけどもう一回が惜しい。寝すぎて夢の中が夢の中のように思えてくる自分がどれだけ飲めば酔っぱらうのかも分からないし机の上のブランデー、車の中に焼酎が半年あるけどこれって飲めるんだっけお酒って賞味期限あるのかバーテンダーなのに分からない。前を向いて歩く癖がつかないなあ、知らない知らない知ってるお疲れ様です。便器に張り付いた髪の毛これは陰毛ほどの罪はないけど罰を与える余裕もない牛乳って飲んだら牛が育つのに人間が飲むのは意味不明、申し訳程度のアンモニアそして換気扇。自己嫌悪もページの一部、発泡酒で飲み干しておやすみなさい。じしんかみなりかじおやじ、実家にいるけどここはどこ ゲラゲラ
11/9
何もしないつもりだった 一週間前の疲れと過ごすつもりで
ベッドから抜け出して外を見る 日が暮れてなくてよかった
Talk is Cheep
今のところ、全てを、とまではいかないが、多くをうまく隠せていると思う。殻を破られることが少なくなってきた。危険な人を遠ざけているだけかもしれない。
小学生の時は夏休みに家の前の空き地で野球をしたり、本を読んでいました。あと、頻繁に頭が痛かった記憶があります。本は毎日一冊のペースで読んでいて、図書室の貸し出しランキングが毎年一位でした。何を読んでいたのか、ほとんど覚えていません。スポーツもたくさんしていましたが、たくさんしていたので何も上手くなりませんでした。
一番仲の良かったK君は勉強もスポーツも音楽もできたのでコンプレックスにまみれていました。どうやって出し抜こうか考える毎日でした。
K君とは中学、高校になっても同じ学校で、何か変わったことといえば彼を取り巻く人間より僕を取り巻くそれの方が多くなったということだけでした。僕は自分に対する虚像を作り出し、周りはそれに食いつくだけのピラニアだったのです。
自分の本当の部分はどこにあったのかというと、当時の僕は周りの、言ってしまえば烏合の衆の反応を鏡にすることでしか自分を見ることができなかったのでそれはいまも分からないままです。
取り巻く烏合の衆の数が変わったことでK君を出し抜いたことになったのか、いま思えば何と下らないことを僕は。
虚像はますます大きくなり、今もそれは変わりません。頭の中は絶えず沸点に達しておりぐつぐつと煮えたぎっているのですが虚像が僕にのしかかることによって固められた脳の外側にそれが漏れることは全く無いのです。
Wave of Light
地震か、と思いながらウイスキーをつぎ足す。ここ一週間ほど、思ったことを思った通りに更新していたのだがやはり読み易くする努力は必要だと感じた。
大事な人が亡くなって、疲れた、の一言で済ますのは勿体無いくらいに心も身体も動かない。
知りたいことなんて何もない様に思える。そんなことなんて全て知っている様に思える。
焼酎を飲んで、残りは棺に流し込んだ。全てが終わった後の骨壷を抱えた。
あの味、あの重みは一生忘れないと思う。
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迷路のように回りくどい夏の日の記憶の余白。幼虫から気付けば抜け殻。六畳の牢屋は中学の卒業式と共に終わった。