zunda zunda

音楽とか、本とか、毎日とか。

考えるということ

世の中、少なくとも僕の周りには頭の悪い人が多い。おそらく僕も向こう側の人間からしてみれば頭の悪い人間だと思われているだろう。誰しもが自分は思慮深く考えることが出来る人間だと思っている。
そんなことはどうだって良いのである。結果を見れば全てが明らかだ。頭の悪さがにじみ出るように露呈しているのが分かる。いや、頭の悪さは関係がないかもしれない。結局そこを左右するのは思考による結果なのか、成り行きが生んだ結果なのか、それは一目で分かる。
考えることによって頭の悪さは十二分にカバーできる。しかし疑問を持たなければ考えるきっかけにもならない。
今目の前にある情報が本当に正しいのか。インターネット上の情報のほとんどは自分の目の前に「流れ着いた」ものであって自分からつかみ取ったものではない。売れている音楽、書籍、映画、全ては恣意的なものであるのにも関わらず平然と吸収しまるで自分のものであるかのように振る舞う。それを疑問に思わなくてどうする。

書かないでいいことを書いてしまったと正直思っている。少しでも気付く人が増えてしまえばその貴重な情報の価値が下がってしまう。何のことか分からない人は需要と供給の関係を復習した方がいい。
僕と僕が認める数少ない人たち以外は俗にいう情弱のままでいいのである。そのほうが扱いやすい。

寝る前にこれを更新してしまうと最悪の結果を生んでしまう。何が言いたいのかと言うと、これを読んだことをすぐにでも忘れて欲しい。何も考えないで欲しい。社会に操られた人形のような存在の方が圧倒的に楽だと思う。

僕は寝る。